感動・感激・感謝-3kan.net-
あなたは最近<感動・感激・感謝>したことありますか?
心がほっとする癒し系の話はもちろん、
企業の<感動・感激・感謝><感動経営事例>もあわせてお届けします。

感動・感激・感謝-3kan.net-タイトル
Shiozyの<感動・感激・感謝>ネタお届けします。

2006年3月23日更新
最新エントリ配信

祝☆検索エンジンGoogle第一位表示達成!
SEO対策の参考にしてください。
感動・感激・感謝-3kan.net-Shiozyイラスト


<感動・感激・感謝>
 3kan.net の由来


このサイトのネーミング
<感動・感激・感謝>は感動プロデューサー・平野さんの理論から引用させてもらったものです。
彼は「感情の方程式」としてこう言っておられます。

怒り<不満<満足<感動<感激<感謝

ビジネスでよく言われる「顧客満足」
お客様の「満足」程度に安住していていいんですか?
と、警告しているんですね。

ということで、
「顧客満足の更にその先にある感動経営」
この事例をいろいろお届けしてまいります。


        ●

感動プロデューサー・平野さんより
うれしい応援メールをいただきました。



自分が書いた本が、お役に立っていることは、著者としてこの上ない幸せを感じる瞬間でもあります。

閉塞感漂う世の中に、ちょっとした工夫で、
感動を増幅させるビジネスがどんどん増えて欲しいですね。

3kan.net楽しみにしています。

感動プロデューサー
平野 秀典



平野さんの「100万人感動倶楽部」はこちら
平野さんの著書「感動力」はこちら


<感動・感激・感謝>
募 集
あなたの3感ネタお寄せください。
こちらまで
info@3kan.net

ご感想などもいただけるとうれしいですね。


感動・感激・感謝-3kan.net-過去の記事

●未だ見ぬ我が子へ
●解決する知恵3
●解決する知恵2
●解決する知恵1
●新聞掲載狂想曲
●私のリターンマッチ最終回
●私のリターンマッチ3
●私のリターンマッチ2
●私のリターンマッチ1
●新年早々の悲劇、そして
●予感的中
●家出決行
●男の友情と家族力
●出せなかった手紙
●一周年記念号
●娘の家出計画
●ありがとう。オヤジ
●ゆっくりでいいんだよ
●お荷物営業ウーマンのその後
●13時間の後悔
●配信50号記念
●忘れられない月
●親子の絆
●友輝(ゆうき)くん:反響号
●緊急号:友輝(ゆうき)くんを救え
●介護生活7:水曜@自主休業日
●ふたたびの恋
●恋の号砲は、素の自分
●お父さんといえた日
●娘を捨てるということ<読者投票1位>
●父帰る
●東京のおかあさん
●当たり前のこと
●介護生活6:ブラと口紅
●平凡な家庭
●お荷物営業ウーマン
●介護生活5:Yさん@作業療法士
●パジャマ姿の向こうに見えた小さな島
●男の友情
●女の友情
●介護生活4:奇 跡
●介護生活3:左手生活
●親不孝むすめ、母にFAXを送る
●おむつ犬チエ
 その1:しあわせの紙おむつ
 その2:3人暮らし
●感動2題:この人に会った!
 
その1:田中康夫・信州長野県知事
 その2:感動プロデューサー・平野さん
●読者投稿:母へのハガキ
●介護生活2:おかあさん
●不登校の子ども達と共に生きる2
●不登校の子ども達と共に生きる1
●心優しき傷つきやすい人
●介護生活1:主夫になるということ
●病床の父へ、毎日送るハガキ
●私の子でありがとう。天使・ひなた
  その1:プロローグ

 たくさんの感想メールはこちら
 その2:長男のひとこと
 その3:生きていく勇気
 その4:つらいけど、感動がある
 天使・飛向(ひなた) 特別臨時号
●エッセイその3「孫自慢」
●エッセイその2「国民的涙涙感動」
●「おかんの法則」出版記念号
●エッセイその1「大阪のおばちゃん」

●素晴らしきかなパートさん2
<プレゼンまでやってのけるパートさん>

●感動をくれた「読者感想」
●素晴らしきかなパートさん
●高卒Webコンサルタント
●スーパーで拍手がわきおこった
●サマンサ・コンシェルジェ
●自分史






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■日刊新周南新聞に紹介いただきました。
感動・感激・感謝-3kan.net-新聞記事
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■リンクしていただいているサイトです。

・サマンサジャパン
・おかんの法則
・エリッキサー@BOB
・広島きのぴーワールド
・YMB
・コンビニ副店長バックルームにて

・吉村君の「ひまひま」サイト
・スローほっとコム
・心呼吸〜言葉で、心をあたためる技術
・企画のココロ
・ざっそうの女(ひと)
・樂らくゼミナール


ありがとうございます

1月29日
3803
アクセスを記録
 

●「オヤジの、オヤジによる、オヤジのための、趣味系ブログコミュニティー」
 Relog:http://relog.jp/


ブログ「Shiozyの介護生活」はここね
 http://relog.jp/kaigo/

↑↑カチッとネ↑↑
↑↑さて、今日は何位かな???


12月29日(日)中国新聞朝刊「D<団塊>のページ」に「妻のために生きる日誌」という、ちと赤面してしまう見出しで「介護生活」が紹介されました。

このの記事掲載で、
電話やらメールやら、たくさんの激励をいただきました。

さて、掲載日の朝一番に電話を掛けてきたのは、なんと娘。

「ブログに私のことが書いてあるじゃん。
私の承諾もなしになんで勝手にのせるん。
家出の話はぜったい削除してよ」 ですと。

早朝から、削除作業にアタフタいたしました。(汗

そうこうしているうちに、
突然ブログに接続できなくなりました。

あれれ???
結局、夕方近くになってやっと復活。

「中国新聞読んだよ」というコメントがたくさん寄せられてうれしい興奮を味わいました。

で、夜になって、本日のアクセス数は?とやおらログを確認に行くと、、、、

アクセス数、な、な、なんと、なんと

いくらだと思います???


通常、アクセスランキング1位で
1日のアクセス数が500〜550。


この日、
3803 を記録。

自分の目を疑いましたね。

さすが中国新聞。影響力すさまじい。

私のブログを見つけてくれた西村文さん@中国新聞美人記者さんに
<感謝>です。




時事通信さんの全国配信で、2月11日

またまたアクセス数 3369を記録。

時事通信の記者さんの名前「綾子」さん。
中国新聞は「文さん」
で、うちの娘も「文」。
なんという「アヤ」つながり。

不思議な縁です。


「3感掲示板」作りました。

どうぞ、お気軽に感想・質問・意見等、
書き込みください。


ありがとうございました

*************************************
    かめおかゆみこ&よがふく
     ワークショップin広島

   【死ぬまでごきげんに生きる方法☆】
 http://www.slow-hot.com/seminar.html
*************************************

 
↑↑セミナー無事終了いたしました。

 
セミナーのあとの懇親会に参加したShiozyは
講師のかめおかさん&よがふくさんと楽しい酒を呑むことができました。久しぶりに熱い議論をやりました。ありがとうございました。




 久々に川柳です。 from misae

 「私のおじちやん」に寄せて

・父よりも近く感じる瞬間(とき)を持ち

・おじちゃんと呼ぶとき心暖まり

・不器用と不器用が乗る車椅子

・世捨て人 捨てれぬものを誰が知る

・ほろ苦く切なくもあり血の絆

・目に見えぬ絆の力に見守られ


この話はパッチギなどで有名な井筒和幸監督に映像化してもらいたいと思いましたね。


































































































↓↓こっちもカチッと押してくださるとうれしい。


Shiozyのシルクロード探検隊はこちら

1月29日(日)中国新聞朝刊に掲載されました。

時事通信社さんに全国配信していただきました。
ありがとうございました。

2月11日:産経新聞関東版
2月13日:沖縄・石垣島の八重山毎日新聞

2月15日:長野日報

広島テレビ「テレビ宣言」2月23日放映

中国新聞朝刊
「D<団塊>のページ」
(くらし面)に

「Shiozyの介護生活」掲載していただきました。

たくさんの反響をいただき、
感謝感激しております。



←クリックすると拡大

産経新聞関東版
掲載紙入荷しました



←クリックすると拡大
(それにしても、秋篠宮さまの横とは恐れ多い)



 車のから、ぽつぽつ咲いている梅の花なんかを見ると

 「おっ。もう春か。」 と思ったりするこの頃。

 読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 以前「私のリターンマッチ」と題して

 自分のこれまでを長−い文章で書いてきたゆきよですが、

 今度は、大阪時代のほろ苦い思い出を語ってきよりました。

 今回はそんなに長くありません。

 まあ、少し付き合ってやってください。


---------------------------------


  『私のおじちゃん』


 今から9年ほど前、大阪で暮らしていた頃、

 私は車にひかれて入院していたことがあります。

 その時、ひとりだけ友達ができました。

 それがパンチさんです。


 片足が動かなかった私は、

 病院ではずっと車椅子で過ごしていました。

 個室に入っていた私には話し相手もなく、退屈な毎日。

 時々売店に行ってみたり、

 病院の隣のコーヒー屋さんまで出かけて行って雑誌を読んだり。


 そんなことをしながら

 「私の足は動くようになるんやろか。」と思ったり

 「一人暮らしより、病院のほうが食事が出るし

  当分はこの生活もええかな。」と思ったり。


 私をひいた相手のこと、賠償のこと。

 親に任せるのは不安だけれど、

 身体も動かないし知恵もない。

 あきらめてのんびり過ごすようにしていました。

 
 ある日、私はいつものように退屈になって、

 売店まで当時お気に入りだった週刊誌を買いに行きました。

 退屈がゆえ、週刊誌の発売日はいつも楽しみでした。

 1階の売店の台のうえに並べられている雑誌の中から

 お気に入りを手にとってレジに持っていこうとしたその時、

 もう一台の車椅子が

 売店の中からヒュッと出てきました。

 私はその瞬間、週刊誌を床に落としてしまいました。

 「あっ。」

 床に手を伸ばそうとした瞬間、大きな手が

 ぱっと週刊誌をとらえて、私にさしだしてくれました。

 「ありがとうございます。」

 そうお礼を言うと、その大きな手の持ち主は

 「おう。お互いかたわの身ぃやからな。」

 と言ってカラッと笑いました。


 それがパンチさんでした。


 私は一瞬でそのおじちゃんのことが好きになりました。

 パンチパーマの、明らかに堅気ではない

 と思われるおじちゃんでした。

 病室に戻りながら、二人で少し話をしました。

 パンチさんは膝に水がたまっているらしかったけど、

 自分の病状はあまり詳しく話しませんでした。


 それから時々、パンチさんとは

 廊下で顔をあわせるようになりました。

 私達は会えば挨拶して、

 二人で並んで車椅子の車輪をコロコロ転がして、

 いつもなんとなく

 廊下のソファの前の灰皿のところに行きました。

 そうして少しだけ世間話をして、

 しばらくじっと黙ってから

 パンチさんがタバコを吸い終わると

 また少しだけ話をして、

 二人並んでコロコロ車輪を押して

 病室に帰るのです。


 パンチさんの病室は私の病室の向こうにありました。

 「おやすみなさい。」

 「おう。おやすみ。」

 ちょっと辛気臭かったけど、

 私はなぜか二人で居る時間が好きでした。


 それは、もう一人加わって3人になる時もありました。

 おばちゃんが加わった時です。

 パンチさんのところにはよく、

 きれいで優しい顔をしたおばちゃんが来ていました。

 おばちゃんは品がよく賢そうな人で、

 私とパンチさんの話に

 「ほんまにい。」「そうやったん。」

 と優しくあいづちを打ってくれました。

 おばちゃんがいる時にはパンチさんの顔が

 いきいきと明るいのが印象的でした。

 おばちゃんもまた、

 派手な格好をしているわけではないけど

 堅気の奥さんでないことは雰囲気でわかりました。

 おばちゃんはパンチさんのことを

 「○○さん」と苗字で呼んでいました。


 今では、パンチさんと

 何を話したのかよく覚えていません。

 だけど、おばちゃんに車椅子を押してもらって

 3人並んでコロコロ病室に帰っていく時の場面を

 今でも何度も思い出します。

 私達はそのときだけ家族のようでした。


 私が退院する日。

 広島から両親がやって来ました。

 その頃にはもう松葉杖で歩けるようになっていた私は

 ベッドの上に座って、両親と話をしていました。

 その時、病室のドアが開け放してあったので、

 車椅子で廊下を通っていくパンチさんが見えました。

 私が軽く会釈すると、

 父親がそれに気づいてぱっと廊下のほうを振り返り、

 少し硬くなって会釈するパンチさんに気づいて

 ペコッと頭をさげました。


 私のほうに向き直った父の顔は

 こわばって蒼白となっていました。

 それはまるで

 幽霊でも見たかのような顔でした。



 「わしゃ、心臓が止まるかと思ったあ。

 さっきの人、Yにそっくりじゃった。

 こんなことがあるんじゃのう。

 ほんまにうりふたつじゃったわい。」


 Yというのは父の一番上のお兄さんのことです。

 つまり、私の叔父さんなのですが、

 ずっと世捨て人のような暮らしをしてきた人で

 自分の人生も子供も捨ててしまった人でした。

 Y叔父さんの子供、

 つまり私のいとこになるおにいちゃんは

 両親を知らないまま、

 父とY叔父さんの両親である祖父母に育てられました。


 Y叔父さんは大阪の西成で

 あやしいことをして生計を立てている、

 というのは母から聞いて知っていました。

 一度、父方の兄弟間の手続きのため

 母が西成を訪ねていった時、

 Y叔父さんと歩いていると、

 すれ違う裏の世界のおじさんたちから

 次々に挨拶をされて怖かった事なども聞いていました。


 私は、Y叔父さんとは一度も会った事はないけれど、

 父がよく、私のことを「Y叔父さんと似ている」

 と言って心配している、と母から聞かされて

 うんざりすると同時に

 なんとなく親近感もわいて

 「一度会ってみたい。」と思っていた妙な存在でした。



 父はしばらく呆然としていました。

 荷物をまとめて3人で病室を出るとき

 「ちょっと待って。」

 父に少し待ってもらい、

 私はパンチさんに挨拶をしに行きました。

 母も後ろについてきました。

 病室のドアを開けると

 顔色の悪いパンチさんがベッドに横たわっていました。

 大きな身体はしぼんでしまって生気がありませんでした。

 「お世話になりました。」頭をさげた私に

 「おう。」

 返事をするパンチさんを見て、思いました。

 「おじちゃん、死ぬのやな。」

 それは、心がぎゅっとなる瞬間でした。



 去年、親戚の結婚式のため

 久々に叔父さんの息子である、

 いとこのおにいちゃんが

 千葉から、広島の実家に帰って来ました。

 私の実家は父が生まれ育った家です。

 そこは、

 両親を知らず、私の父と兄弟同然で

 同じ屋根の下で育った

 おにいちゃんの実家でもあります。

 ちょうど私が大阪のアパートを引き上げて

 広島に戻って暮らす準備をしている頃でした。


 その時、おにいちゃんが初めて父に、

 自分の父親のことを尋ねました。

 おにいちゃんは一度だけ、

 父親らしき人を見たことがあると言っていました。

 おにいちゃんはその時のことを話しながら

 「あの時、あそこにおったのが、

 あれがアイツだったんじゃね。そうじゃったんじゃね。」

 と声を荒げていました。


 いつも冷静で、

 人を信用せず独りで生きてきたおにいちゃんの

 初めて見せる姿でした。


 絶対にアイツのことは一生父親だとは思わない、

 とおにいちゃんは言っていました。

 私と母はじっと黙って聞いていました。



 それから数ヶ月経って

 母との会話の中でふと、

 おにいちゃんのことが話題にのぼったことがありました。

 私はすぐにパンチさんのことを思い出しました。

 私は何気なく母に尋ねてみました。

 「私が入院してた時仲良くしてもらってた

  あのおじちゃん、覚えてる?」

 母は覚えている、と言いました。

 「お父さんはあんなにびっくりしてたけど

 あのおじちゃん、

 そんなにYおじちゃんに似てたん?不思議やわ。」


 すると母が当たり前、といった感じで淡々と答えました。

 「あんた、わからんかったん?

 あの人にはあんたと同じ歳頃の娘さんがおるはずよ。

 それが何かの事情で会えんようになったんよ。

 だから、あんたがかわいかったんよね。

 そういう人は皆同じ顔をしとるもんよ。

 だからYおじちゃんに似とるんよ。」


 私が無事でいられたのも

 おじちゃんが守ってくれたからやろか。


 パンチさんとY叔父さんが

 ひとりのおじちゃんになって

 私を守ってくれたんやろか。



 ありがとう。

 心の中でつぶやくと、

 私のおじちゃんが

 ニカッと笑ってくれた気がしました。   <ゆきよ>




 ●読者感想お待ちしております。


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